平成20年度「シニア活性部会」活動報告
−地元“兵庫津の道”の散策と懇親−

 
春の総会で,「シニア活性部会」と「趣味の会」とは合併して活動することが決まったため,今回はその最初の試みとして, 「地元−兵庫津の道−の散策と懇親」を行うこととなった.その概要は以下の通りである.






開催日時:H20年10月22日(水) 散策 13:30−17:00,懇親 17:00〜
コース
JR兵庫駅⇒兵庫大仏⇒兵庫運河・新川運河キャナルプロムナード⇒清盛塚⇒中央市場前駅⇒(地下鉄海岸線)⇒和田岬駅⇒史跡大輪田の砲台(三菱重工構内) ⇒和田岬駅⇒(地下鉄海岸線)⇒新長田駅⇒「高くら」で懇親
参加者:10名
概  要
 当日の参加者は10名とやや淋しかったが,雨天のなか傘を差して町中を散策することを考えれば,今回に限っては適正な参加者数で あった,と言えるかも知れない.
 JR兵庫駅を出発して,最初の目的地は“柳原惣門跡の碑”であった.西国街道から兵庫の町への出入り口にこの惣門が設けられていたそう である.明治8年に撤去されたが,案内板には惣門の推定復元図が示されている. 惣門跡から暫く歩くと,家の屋根とビルに囲まれる形 で大仏像が顔を覗かせた.能福寺の“兵庫大仏”であった.初代大仏は戦時中の金属回収のために供出され,現在の大仏は平成3年に再建 された2代目である,高さは11mあり,日本三大仏のひとつに数えられる,とのことである.
 新川運河沿いのキャナルプロムナードに沿って“清盛塚”に向かう途中,“兵庫城跡”の碑と案内板が目を引いた.慶応4年(1868年),極 めて短期間ではあったが,ここ兵庫城跡に初の兵庫県庁が設置された,と記されていた.
 なお,“清盛塚(十三重塔)”はプロムナードの終端 あたりにあった.当初は清盛の墓と考えられていたそうであるが,発掘調査の結果,墳墓ではないことが判明した,との ことである.

兵 庫 大 仏
 “清盛塚”を過ぎたあたりから雨足が激しくなったため,次の目的地である“大輪田の砲台”まで徒歩で移動するのを諦め,地下鉄を利 用することとなった.この途中にもいくつか史跡があるとの話しであり,この点は残念であった.
 “大輪田の砲台”は三菱重工業叶_戸造船所の構内にある.入所手続きを済ませた後,まず神戸造船所の概要説明を受け,その後砲台に 向かった.砲台は幕末に沿岸防衛のため,大阪沿岸に設置された9カ所の砲台のうちの1つで,設計者は勝海舟とのことである.結局大 砲を据えるまでに至らなかったそうであるが,煙突の無い構造であったため,大砲を試射した他の砲台では内部に煙が充満し,とても実 戦には使えないことがわかった,と説明員の方から伺った.
  砲台を見学した後,構内にある展示ホールを見学させて頂いた.入口ではコミュニケーションロボット“wakamaru”が出迎えてくれ,一 緒に写真を撮るなどしばし交歓した.いろいろお世話下さった神戸造船所の関係各位にはこの 場を借りて厚くお礼申し上げたい.

大輪田の砲台跡で
 この後,地下鉄海岸線で新長田駅まで移動した.当初の予定では,“西代学舎跡地”あたりを散策することになっていたが,時間的に無 理があったため,懇親会会場「高くら」に直行することになった.「高くら」は新長田駅前ビルの25階にあって見晴らしがよく,西代学 舎跡などを一望することができた.
 今回の散策は天候に恵まれず,その点では残念であったが,これまでその存在すら知らなかったJR兵庫駅近くの史跡をいくつか訪問することができ,非常に有意義であった,といえる.
 なお,「ここ」をクリックすると,上掲以外の当日の画像を見て頂くことができる.ぜひご覧頂きたい.